これでもくらえ

なにもかもウルトラQのせいだ

映画『智恵子抄』(1957年 東宝)

 

熊谷久虎監督『智恵子抄』を鑑賞。本作は、彫刻家であり詩人の高村光太郎が妻の智恵子との間に交わされた深い愛情を綴った詩集「智恵子抄」を実写化した作品で八住利雄氏が脚本を務めた文芸映画である。團伊玖磨氏による明朗で躍動感漲る主題歌や、若かりし酔っ払い土屋嘉男氏を愛でるだけでも十分に一見の価値のある作品。時代は明治末期。退廃生活を送る高村光太郎は知人の八木夫妻の紹介で画学生の長沼智恵子と出会う。清純な智恵子の純愛によって生きる喜びと愛の幸せを知った光太郎は、やがて荒んだ過去を清算し、新たな人生を智恵子と夫婦として歩んで行こうと決心する。智恵子は芸術家の高村を尊敬しながら家庭を守る一方で自身の油絵に熱中し、光太郎は彫刻の傍ら詩を紡ぐ愛に満ちた日々を送っていた。しかし、時には食事や睡眠の時間をも忘れて画の制作に没頭する智恵子の才能は世間に認められず、光太郎の本心も同様であった。絵画に対する自信を喪失し、才能に限界を感じた智恵子は、その日から芸術への愛着を棄て専業主婦として尽力する。健気に家事を熟す智恵子だったが、余りに純粋で繊細な智恵子の心は血を流して泣いていた。その上、父の死、長沼家の破産、弟の放蕩と相次ぐ不幸によって智恵子の精神は遂に崩壊。病状が悪化した智恵子は妹の嫁ぎ先である九十九里海岸へ住居を移すも改善が見られず、東京の病院へ入院するのだが…。

美しい詩を添えながら妻への愛情を語る純粋な恋愛映画と思いきや、純愛と狂気で構築された独特な世界観だった。愛の形に正解は無いのだよ。次々に襲い来る悲劇に芸術家夫婦が翻弄される予想以上の鬱展開だったのに加えて、原節子氏演じる智恵子の怪演に戦慄。智恵子の透明で純粋な精神が段階を踏んで徐々に蝕まれていく過程を原節子氏が慎重且つ大胆に表現しているのだ。特に、絵画に没頭していた際に描いていたレモンを病気を発症してから好物として貪り、体内に取り込む行為を捉えた場面が度々登場するのだが、智恵子は至って笑顔にも関わらず孰れも不気味に映る(目が怖い)。あくまで純愛として描かれた光太郎と智恵子の関係性は、時間が経つにつれて共依存の傾向にあり、粟粒結核を併発して益々衰弱する智恵子の死を恐れて取り乱す光太郎の姿に胸が痛む。共依存が不幸とは限らないにしても二人の暗鬱で閉鎖的な愛のやり取りは一見美しく見えるが異常性を秘めている。赤ちゃん返りした妻に対する夫の愛情は、もはや嘗ての夫婦の間に育まれた愛とは別物なのではないだろうか。ただ、光太郎が制作したセミの彫刻の存在は、智恵子の精神が病に冒されようとも変わらぬ二人の愛の形を象徴している様だった。原作が詩集な為、作中に度々光太郎の詩がモノローグ調に綴られている。中でも智恵子が自殺を思い留まった「あなたはだんだんきれいになる」の一節、「をんなが附属品をだんだん棄てるとどうしてこんなにきれいになるのか。 年で洗はれたあなたのからだは無辺際を飛ぶ天の金属。」に絶句。人間は年齢を重ねる毎に薄汚れて醜く老いていくと固執する僕の価値観が見事に破壊されたのであった。

 

f:id:zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz:20201215194920j:plain↑ 本作は『ぽんぽこ物語』に登場するぽん吉役を務められた栗原眞一君が「劇団あすなろ」の一員として御出演。ワンシーンでありながら、原節子氏演じる智恵子にセミの彫刻を渡す重要な役割を担う役どころを好演(坊主萌え~)。