1964年~1965年頃、佐藤プロより貸本向け単行本として刊行された「ロスト・ワールド ガモラ」(全3巻・未完)と、1965年に東邦図書出版社より"東邦まんがホームランブックス"として刊行された「マスクボーイ」の復刻本として1998年に太田出版から発行された『ロスト・ワールド ガモラ』を入手・読了しました。
本書の重大事項は、3巻が刊行されて以来、幻の未完作品として謎に包まれた大怪獣SF大作『ロスト・ワールド ガモラ』が当時から33年の時を経て、完結した点にある。
未完に終わった物語の続きの構想を著者である楳図先生から聴き取った内容を、編集者が構成した文章が掲載されているのだ。
更には、本書の為に物語の結末となる部分を楳図先生が「エピローグ」と題して執筆なさった最終章14頁の描き下ろしは大変貴重な雄篇と云えよう。
楳図先生のオリジナル怪獣は、いずれも無慈悲。
これは本書の巻末だか冊子だかで同じ様に指摘されている方がいたが、全く持って同感なのである。
ガモラに限らず、大怪獣ドラゴンも怪獣ギョーもそうだ。
目が爛々と輝いており、笑顔さえも伺えるその無情な存在感、圧倒的な破壊力、スピーディーな動作と脅威で人類を恐怖に陥れる魅力を持っている。
怪獣は恐慌の具体化であり、そこに善意や悪意と云った人間の感情は存在しない。
タイムパラドックスが流れる『ロスト・ワールド ガモラ』は、時空を跨ぐ空想科学の世界観と予言と云う形で平安から現代に現れた大怪獣の謎に満ちた世界観が融合した巧妙なSF漫画なのは確かであるが、やはり未完と云う点で、伏線が張り詰められたまま、本書の構想解説と14頁のエピローグによって終止符を打たれてしまった事に対しては、何とも言えない情に苛まれた。
幻の未完大作として君臨していた"ガモラ"の謎が解明した時、謎は謎でなくなってしまう。真実を知った時、喜ばしい反面、幻が醒めてしまって物寂しい気も…(複雑なジレンマ)
少年にして天才博士な主人公、地震と共に現れる怪獣、時空を越える物質"中間子鉱石"、中間子鉱石を狙う謎の秘密結社、突如現れた古代生物、異形の美少女………3巻までにしても心を揺さぶられる様々な需要を持ち合わせる可能性を秘めた傑作なだけあって非常に無念である。
ただ、不完全燃焼に終わったガモラの意思は後の大怪獣ドラゴンで生かされている様にも思う。ドラゴンの方はSF要素皆無だけど、時空を超えたストーリーと無慈悲な破壊活動と街を征する轟きにガモラの影が伺えた。
併録の『マスクボーイ』は電子頭脳(ロボット)が人類侵略を目論むSF超人アクション篇。
ヴエガ星系第四惑星人、おめえらいってえなにもんだ?
科学者や教授と云った天才と呼ばれる輩は、狂人的でなくっちゃあ話になりません。
オートメイション工場の脳味噌を彷彿とさせる建造物の卓越性も然る事ながら、工場より生産されたロボットの描写もまた見事で、黒づくめの口元から発射される手裏剣の様な刃物、まるで羽の様なマントは道化師に見られるユニークさもあって、ロボットのイメージを覆す斬新なデザインだ。
エネルギーで原子配列を変換して分身を創生する特性、屈折空間ボールと云った科学を娯楽性に徹したユニークな表現が好印象。
本作は、機械に頼りきりとなってしまった人類の衰退、そして末路、警告が根源に流れているのだと思う。
人間だと思っていたヒーロー(主人公)さえも、ロボットだと云う裏切りに戦慄を覚えた。