これでもくらえ

なにもかもウルトラQのせいだ

映画『二十才の恋』(1962年 東宝)

 

石原慎太郎監督の映画『二十才の恋』に関して。先ず、御詫びです。先月ツイッターに本作を「19歳の青年が20歳の誕生日に鬱屈した欲望を果たす」と誤って紹介してしまいました。「20歳の誕生日に鬱屈した欲望を果たす」のは強ち間違っていないのですが、厳密には「誕生日祝い」であって物語に登場した青年は19歳ではありません。終始20歳でした。訂正して御詫び申し上げます。(該当のツイートは誤解を招く可能性があるので削除済みです。) さて、本題。『二十才の恋』は五ヵ国(フランス、イタリア、日本、ドイツ、ポーランド)の都市を舞台に、各国の新鋭監督が瑞々しい「20歳の恋」を描いたオムニバス映画『L'amour à 20 ans』の「日本篇」である。脚本も務めた石原慎太郎監督は1958年に東京で発生した女学生殺害事件(小松川事件)からヒントを得て執筆されたそうで、暗鬱な青春の中で歪曲した青年の欲望を描出。主演の古畑弘二氏(当時24歳)は『フランケンシュタイン対地底怪獣』の印象が強い一方、本作が映画初出演にして初主演と云う大抜擢。独特な存在感を放つ比類無き美青年です。以下、粗筋と感想。

 

f:id:zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz:20210113231445j:plain↑ 浩(古畑弘二氏)が通勤時にすれ違う女学生(田村奈巳氏)に抱いた恋心は暗鬱な生活の中で徐々に歪められて…

 

工場勤務の労働者である浩は、一人暮らしをする下宿と勤務先の工場を往復する閉塞的で単調な毎日に退屈していた。或る日、工場に向かう途中に一人の少女と出会う。毎日同じ時間にすれ違う彼女は清楚な美貌を持つ女学生だった。すれ違う度に二人の視線は交わされた。浩は彼女をより長く見詰めていたい一心で振り返って見送るが、決してそれ以上接近する勇気は無い。次第に彼女の存在は浩の心を静かに侵食していく。浩は11月19日に20歳の誕生日を迎えた。ただ成人した事実のみがあるだけで、浩の生活に変化は無い。いつもと変わらぬ工場、工員達、薄暗い下宿。「二十か、一人前になったって何もありゃしねえや」…鬱屈した生活の中で思い出されるのは毎日すれ違う天使の様な女学生だった。夢想の中で彼女の幼さが残る美しい瞳が微笑を浮かべて此方を見詰める挙措が一種の執念となり浩を支配した。しかし浩は貧しい工員である。希望に満ちた良家の女学生に向けた愚かな恋心が成就しない事を解っていた。鬱屈とした日々の中で芽生えた密かな恋心に苦悩した浩は1つの答えに辿り着く。やがて浩は工場のグラインダーを使って手製のナイフを磨き始めた。浩の様子に異変を感じた高子は同じ工場で働く事務員である。高子は普段から浩に好意を寄せていた。浩は高子の露骨な好意を何と無く感じていながら薄汚い彼女を侮蔑している。「あんたこの頃変わったみたいね、いい恋人でも出来たの?」と、問い掛ける高子に対して微笑を浮かべる浩。「なによ、何かいいことあったの?羨ましいわね、私にも分けて。」浩は再び優しい微笑を高子に見せ、「うん、わけてやろう」…。それから数日後、刺殺されて倒れている高子の屍体が川岸の草原で発見された。工場の話題はその事で持ち切りだった。依然として浩の態度に変化は無い。殺人犯は行方不明、誰も真相を知る者は居なかった。遂に放逸な欲望を果たす為の準備が整った。浩は1ヵ月遅れの誕生日、12月19日を決行の日と決めていた。「嗚呼、俺は、俺はまだ君の名前も知らない…。」12月19日の夜、新しい白いオーバーを身に纏った女学生を認めた浩は一目散に駆け出し、先廻りをして彼女を待ち構えた。乱れる呼吸を整えながら目を瞑ると浩に向かって優しく微笑む女学生の顔が浮かぶ。ナイフを手に飛び出した浩に驚いて小さな悲鳴を上げる女学生。「あなたは!?」次の瞬間、浩の手からナイフが落ち、彼は両手で力一杯彼女の首を絞め上げた。僅かな抵抗も虚しく、浩の腕の中に彼女の体が崩れた。眠る様に美しい彼女の顔を月の光に照らした浩は、暫く見詰めた後に激しく接吻する。浩は人目に付かぬ場所に少女を寝かせいつまでも見詰めていた。彼は見事に目的を達成した。愛憎渦巻く彼の心にやっと平和が訪れたのであった…。

 

f:id:zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz:20210114220540j:plain↑ 浩を取り巻く世界の住人。左上、高子(横山道代氏)。左下、ペットの鼠。右上、同じ工場で働く人々。右下、女学生。

 

大胆な結末故に賛否両論だろうけど、僕は感動した。二十歳の誕生日に好きな女の子を殺すなんてス・テ・キ! 短編でありながら、与えられた題材の枠を超えて都会に住む若者の明暗と人間の脆弱性を克明に描き出した傑作だと思う。主人公の思想に同調した部分もある。綺麗な物を破壊したい衝動、君の中にもきっとあるよね。好意や愛情を昇華した果てに存在する感情に正解は無いだろうし、沈鬱な日々の中で生まれた恋心が変質して狂気的な欲望に行き着く事もあるだろう。ただ、観客に解釈を委ねているのか登場人物の描写が希薄で説明が不十分。先ず、浩。工場で働く貧しい労働者。作中で彼の家族や過去が語られる事は無いが、演博所蔵の台本「二十才の恋:二十才の誕生日」(第1稿)の中で浩が中学生の頃を回想するシーンが描かれている。回想の中で友人達が大学や高校の入試について会話を交わす場面は、浩が中卒だと云う比喩なのか。女学生を殺害する決行の舞台が小学校の校庭、隠す場所が体育倉庫って云うのも意図的な演出だと考えられるし、何方にせよ学歴にコンプレックスを抱いているのか、作中で同じ年頃の青年がスポーツに励んだり、男女が町で笑い声を交わしながら燥いでいる様子を冷酷な眼差しで見詰めている。一方、女学生。台本上の設定では18歳。清純で天使の様な少女である。家族構成等不明だが、暖かな家庭の中で暮らしているのだろう。毎日すれ違っていたにも関わらず迫る浩に向かって「あなたは!?」と戦慄している様子からして今迄彼に対して無関心だった事を如実に物語っていた。そして、高子。台本上の設定では31歳。浩に好意を寄せる同じ職場の事務員。女学生と対極の立場に存在する女性。疑問点は、浩が女学生を殺害した主な要因が好意から生じていると仮定するならば、高子の殺害動機は実に不可解である。加えて、女学生を殺害する為に丹念に磨いていた刃物が高子の殺害に利用され、女学生の殺害では利用しなかった動機も謎だ。高子の血で穢れた刃物で女学生を殺めたく無かったのか、白い肌に触れたい衝動が暴走したのか、自分の手で息の根を止めたかったのか。作中で嫌に印象に残っているのは、下宿で夜食を取りながらポルノ雑誌を読む浩が油で汚れた指を誌面に写る女性に擦り付けて、そのページを乱暴に破ってグシャグシャにする場面。此の行為に何かしらの意味があり、もし女性不信(卑下)から来る行為だと仮定すると、高子の殺害の動機に繋がるのではないか。何故か母親との関係性を赤裸々に綴られた坂口祐三郎様の自伝本「愛と復讐」を思い出してしまった。でもそうなると、女学生を殺害した動機も好意だけに留まらない複雑な心情を伴ってしまうのだが…。あと、浩が下宿で飼ってる鼠。閉鎖的な檻の中で飼育される鼠は、浩の姿そのものの象徴である。女学生殺害後、檻から逃がして鼠が自由を得る場面が台本(第2稿)の中に登場するのだが、残念ながら作中で該当シーンはカットされている。彼は此れからもずっと「檻の中の鼠」と云うメッセージなのか。浩が女学生の殺害を通して得た達成感と幸福感、そして呪縛からの解放と自由。しかしそれは淡い幻想に過ぎ無かった。警察に挑発的な電話を掛けた後、夢から醒めた浩の不満気な表情が虚しい。

 

f:id:zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz:20210114221106j:plain↑ 「二十才の恋:二十才の誕生日」(第2稿)より主な登場人物とキャスト陣。学生(男)に注目せよ…!(笑)

f:id:zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz:20210114221138p:plain↑ 西條康彦様御出演シーン。浩と同じ年頃の男女が電話ボックスに押し込み合って燥ぐ遊び(?)をしている場面。