これでもくらえ

なにもかもウルトラQのせいだ

Takujiさんの同人誌「T's Q」

 

部屋を掃除してたら「あけてくれ!」のフォノシートが出てきた。円盤に、ロマンスカーが印刷されてて、内容はフィルムサウンドトラック。冊子の挿絵は、石原豪人氏です。ま、昨日見た夢の話なんですけどね。(実在してたらすげーなおい) てな訳で、Takujiさんから「T's Q」発行の貴重な『ウルトラQ』同人誌多数を受け賜りました。大変有難う御座居ます。オリジナルに留まらず、新作への言及を含んだ濃密な5冊!いやはや、そこらのファンとは桁違いな『ウルトラQ』マニアが身近に居らした事に衝撃です。もはやマニア呼びが失礼な域だと思います。僕がナメクジだとしたら、Takujiさんはマンモス。ね、次元が違うでしょ。

 

Takujiさんのツイッター→ Takuji21neo (@Takuji21neo)

 

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↑ 2001年12月9日発行「冬の臨時増刊号『怪獣図鑑』」、発行日不明「(タイトル不明…「闇より来て闇に還りしものたちの宴」の上巻)」、2003年8月15日発行「 (下) 闇より来て闇に還りしものたちの宴」、2011年8月13日発行「夏の増刊号『ウルトラQ タイトルバックの素晴らしき世界』」、2017年8月7日発行「2017年夏号『不完全なるQ』 ウルトラQ倶楽部編」、孰れもTakujiさんの「T's Q」です。

 

今更振り返るまでもありませんが、『ウルトラQ』は53年前の作品です。特撮、怪獣モノ、SFドラマの枠を外したとして半世紀以上経過しても尚、受け手の心を掴んで離さない、興味が尽きる事のない作品と云うだけで偉大に思えます。時代と云う縛りがあるので、この発言は邪道かも知れませんが、今テレビで放映されている作品が半世紀以上語り継がれる、なんて有り得ないと思う。今やインターネット社会だと思います。大袈裟かも知れませんが、ネットの世界を重要視し、リアルの世界を後回しにする人間が多過ぎる。年齢が若ければ若い程、その現象に忠実です。今やネットを通して、幾多の情報が手に入ります。もはや情報を入手する一点に絞ればネットは優秀です。そんな時代だからこそ、本を読む愉しさが身に沁みます。同人誌も例外ではありません。繰り返すようですが、僕が『ウルトラQ』に心酔したのはブログ設立と同時期なので、だいたい3年前。間も無くして、一平君を演じた西條康彦様のイベントが、一休さん主催で中野の大怪獣サロンで開催されて、今思い返すと、それが西條様と僕が最初に出会えた絶好の機会だった訳です。そのイベントに京都からいらしていたのが、Takujiさん。『ウルトラQ』放映当時は、7歳だったそうで、『ウルトラQ』を語る上で外すことが出来ない高度経済成長期の上り坂だった時代背景を肌で感じ、現在"ウルトラマンシリーズ"と呼ばれる歴史を始祖から、昭和~平成と辿って来られた。ここ数年で特撮の世界に魅了された身としては、「当時から」『ウルトラQ』を愛され続ける方の熱量は想像に難しい。もはや「好き」の次元ではないだろうし、僕のような新規ファンとは絶対に超えられない壁があります。それは教養的な意味合いもあるが、当時の状況下、空気と云うのは、もはや発達を極めて便利過ぎる現代には再生不可能である。(Takujiさんも本誌の中で同様の内容を言及なされていますが、全く持って同意です。) オリジナルを含め、派生や続編、総天然色が出揃った後に『ウルトラQ』と出会った僕は「新作のウルトラQと出会う」感動を知らず現在に至りますが、Takujiさんは『ウルトラQ』の歴史を見て来られた。新作に対して、時には歓喜し、時には苦悩する。それは根底にオリジナルに対する愛情の賜物です。大袈裟な話、もはや生き証人と云いますか、それぐらい僕にとって「原体験」は、羨望の的であり、嫉妬の対象でもあります。僕がいくら勉強した所で、それだけは絶対に届かない聖域ですから。さて、同人誌。特に黒い表紙の2冊が凄かった。僕の浅はかな『ウルトラQ』に対する常識を覆した刺激的な内容です。時には僕の思想と一致した的確な文書に「そうそう。分かる分かる!」と頷いたり。Takujiさんが「T's Q」を執筆し始めた当初の活動目的として「『ウルトラQ』を見てもらう」とある様に、ライトなファンに向けて解説を添えており、当時放映していた作品やブーム等の時代背景を言及し、可能な限り放映当時の空気を見手に蘇らせて下さっているのですが、主な内容は『ウルトラQ』の物語の真髄と怪獣の存在意義を追及した思慮深い分析を全28話、この熱量には非常に圧倒されました。「クモ男爵」に登場するゲスト陣の物語に於ける役割とか考えた事ありますか?カネゴンではなく、怪獣が誕生する要因となった「繭」の存在意義とか考えた事ありますか?僕はありません。ケムール人に対する突飛な考察、このまま神田博士の小説「2020年の挑戦」の全篇が始まる勢いでしたよ。僕の頭にはなかった「ケムール人は科学者ではないか」との論文にはかなり惹き込まれました。「2020年と云う、未来の時間を持つ星から来たケムール人」は、しばしば「未来の地球人の姿」として語られており、僕もその意見に同意しているものの、不明瞭なだけあって断固として言い切れない部分がある。最後にケムール人が頭の突起から排出した液体、僕は肉体が滅びを迎える時に残った性への執着、残留した本能から来る意味合いで、精液だ!と思い込んでいましたが、純粋なTakujiさんは異なる解釈をなされています。いやはや、ここまで徹底した解析は感動を覚え、クラクラします。そして、幼少期に体験した記憶に残っている『ウルトラQ』と、大人に成った今抱いている『ウルトラQ』の異なる視点による印象の相違が、僕にとって貴重で新鮮だったり。『ウルトラQ』は、ドラマに不明瞭な点があるからこそ、考察する愉しさがある。解釈は自由であり、正解は受け手の心の中に在るものであって、それを否定する権利は誰にもありません。黄色い表紙の怪獣図鑑は、ゲスト(?)の広瀬さんによるコメントも相俟って、Takujiさんの個性が垣間見えますね。広瀬さんがユニークなムードメーカーなのに対して、Takujiさんはクールな博士キャラ、みたいな。(笑) 『ウルトラQ倶楽部』の同人誌、何より本家があまり話題にならない分、嬉しい特集です。僕はこの「続編」が大好きです。無条件に、西條様が高評価なさっているのは云うまでもなくて、当時若かったスタッフ陣の軌跡が垣間見えるから。当時飯島監督に「2020年の挑戦」を作った後に直ぐ、「2025年からの使者」は作れなかったと思うんですよ。時間の積み重ねで獲得した賜物です。反対に、時間の経過が悪い結果を産む場合がありますし、年齢と共に経験値を稼ぎ利口になる分、頭が硬くなります。他のネオとかダークとか作くやつは観てないです。石投げないで。どんな形であれ、新作や続編はリスクを伴う。いくらオリジナルに携わったスタッフキャストが制作に携わるとはいえ、時間が経過した上だと状況が変わって来る。しかし、本誌では、そういった続編に対する個々の思想により『ウルトラQ倶楽部』が風化する事に対し懸念を抱き、『ウルトラQ』の一端として論及されている。寓話や伝説絡みの作品が極端に多い『ウルトラQ倶楽部』は、正直理解に苦しむ回があった。そういう作品こそ、本誌のような解説兼解析が必要な筈だ。でなければ、益々埋もれてしまったり、「なかったこと」になり兼ねないと思う。…そんな訳で、同人誌と云う性質上、余り詳細は述べませんが、Takujiさんの本により『ウルトラQ』に対する視野が格段に広がりましたね。同時に熟研究を続ける価値のある作品だと云う事を再確認致しました。こりゃもう哲学の粋ですね。商業誌が凄いのに越した事はないんですが、同人誌は活字から伝わるエネルギーが直に伝わってくる様で、愛情が痛い程身に沁みる。人類の永遠のテーマが潜む『ウルトラQ』は、もはや語り切る事が不可能だと思います。今後Takujiさんがどう『ウルトラQ』を追究なさるのか?こんな時代だからこそ、今後の展開が愉しみです。