これでもくらえ

なにもかもウルトラQのせいだ

映画『獣人雪男』(1955年 東宝)

 

先日、新文芸坐のオールナイトで開催された「秋の夜長の新文芸坐東宝特撮まつり」に御邪魔してきました。上映作品は『空の大怪獣ラドン』、『大怪獣バラン』、『宇宙大怪獣 ドゴラ』、そして未ソフト化の『獣人雪男』。チケット完売満席の大盛況。(幸い封切り順の上映だったので、僕は御目当ての『獣人雪男』のみ鑑賞して名残惜し気に離脱。) 出回っているTCRカウンターが目障りな海賊版の御蔭で、内容は承知の上でしたが、言わずもがな海賊版は低画質の映像。僕が特別愛好する作品な為に、此度は念願のフィルム上映鑑賞なのでした。何より映画の劇場鑑賞は格別で、映画は銀幕に映し出されて初めて真価を発揮する。映画の真骨頂を味わうには、劇場に足を運ぶ以外他ならない。本作は、東宝のプロデューサーである田中友幸氏が『ゴジラ』の原作者・香山滋先生に映画の原作を依頼し、ゴジラの次ぐ作品として企画された東宝怪獣映画第二弾。しかし、ゴジラの大ヒットで急遽制作された続編『ゴジラの逆襲』の先行を優先、『獣人雪男』の制作は一時中断と成り、ゴジラの続編が世に先立った経緯がある。

 

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↑ 此れは映画の本編には登場しない造形で撮影用に使用された(らしい)。兇暴臭が漂う。オデコ狭し!

 

『獣人雪男』は悲劇だ。舞台は、日本アルプス。冬山に挑むべく合宿に訪れたK大山岳部の内、予期せず2名の部員が遭難。部員の飯島高志(宝田明氏)や武野道子(河内桃子氏)等による必死の捜査も虚しく、1名は遺体として発見されたが、1名は行方不明。山小屋付近に残された足跡の獣と思わしき体毛の謎を残したまま捜査は打ち切り、翌春に改めて捜索隊が入山。時を同じくして、悪徳興行師の大場(小杉義男氏)と子分の一行が雪男の生捕りを企み捜索隊の後を追っていた。捜索中の或る夜、半人半獣の怪物が飯島等の捜索隊のキャンプを襲撃。道子の悲鳴に飛び出した飯島は怪物を追跡する途中、不運にも大場の一行に捕まり崖下へと蹴落とされてしまった。気を失っていた飯島が目を覚ますと、チカ(根岸明美氏)という名の娘が集落の山小屋で飯島を介護していた。チカは、雪男を村の「主」と呼び守り神として崇めている部落に住む原住民である。余所者と接触する事がタブーとされているが、チカは飯島に恋心を抱く。しかし、部外者を極端に嫌う部落の人々によって飯島は断崖に吊るし下げられ、生死の瀬戸際に偶然雪男が通りかかり、意想外にも飯島を引き上げて助け出した。一方、飯島に心惹かれるチカを利用して雪男の住む洞窟の居場所を突き止めた大場は、雪男の生捕りを達成したかに思われたが、檻の中で必死に抵抗を見せる雪男が脱出。逆上した大場は、唯一の仲間であった子供の雪男を射殺。悲哀と憎悪に怒り狂う雪男は、大場を絶壁から投げ飛ばし、部落を襲撃、大炎上。続いて、捜索隊のキャンプ場にも現れ道子を誘拐。一夜にして全滅した部落に、取り残されたチカは自身が引き起こした悲劇を嘆くばかりだった。チカは、飯島率いる捜索隊と共に「主」の住処へと侵入。洞窟の中で、遭難して行方不明だった1名の部員が白骨体となって発見された。更なる深部で、雪男の子供の遺体、そして雪男らしき無数の白骨が発見され、付近にベニテングダケが生えている事から、雪男達は此れを食した事によって大量死滅、偶然食さなかった2体のみが生き残ったのだと推測された。突如轟く雪男の咆哮!一行は噴火口の傍まで雪男を追い詰めたが、道子を抱いた雪男に表情を歪める一同。その時、チカが進んで飯島に代わって雪男に立ち向かう。道子を手放し、雪男と取っ組み合うチカの隙を狙って発砲された玉が雪男を直撃。もうこの先は胸が苦しくて僕の口からは語れません。無垢で健気な純情を抱くチカに対照する様に、チカに非情で無関心な飯島の態度がマジで腑に落ちないンだよ。(そこかよ)

 

純粋に感想は、雪男とチカ可哀想。本作は猿人類であろう間も無く絶滅を迎える雪男族と部落の秘境に住まう二つの種族の惨劇と絶滅がミステリー調に描かれた作品で、秘境の怪しい神秘性に満ちた世界観と遭難事件から事始まる怪奇性を素直に愉しめたので、部落の人が片目潰れてたり、片腕が欠損してたりとか全く無関心でした。(御目目潰れてる大村千吉可愛いナ、とは思った。) しかし、別に淫猥なシーンとか露骨なスケベシーンが無いにも関わらず、妙にエロいと云うか、劣情を抱かせる何かが作品全体に漂っている様な気がして、漠然な違和感として拭えずにいた。確かに、チカの豊満な体型に露出度の高い野性を想起させる衣装は意識的に色気を匂わせている様で、欲情を唆るのは否定出来ンのだが(爆) で、その"得体の知れぬ違和感"は、映画よりも扇情的でグロテスクな描写が露わな香山滋先生による『獣人雪男』を拝読した際に生まれた新たな視点によって解消されたのでした。要は、絶滅危機の生物(雪男)が生殖行為に飢えて本能的に女性を襲い強姦を試みるだとか、同じく部落も戦前に根付く風習として近親交配の影響で障害者が多いと云うショッキングな背景の存在を、己の思慮不足によって見逃していたのだ。そうした背景を前提に鑑賞すると、雪男族と部落の状況が如何に親密であるか明瞭化する。現に、部落は女性が極端に少ない。度々長老がチカを怒鳴りつけて、暴力を振るう場面はチカが疼きながら発する痛いぐらいの悲鳴によって潜在的に強姦と連想してしまうのは、偶然か意図なのか。悲鳴で云えば、道子も負けてないが、色気は無い。「小説サロン」で1955年8月号~10月号まで連載されたノベライズは、前書きに原型の『S作品検討用台本』の巻頭に掲載された"「雪男」に関するメモ"の改題流用に、謎の包まれた未確認生物・獣人雪男の生物的な見解の多くが掲載されており、人類に比較的身近な生体「半人半獣」と語られる。だからであろうか、雪男の身に起こった一部始終が人間の身にも起こり得る話に思えて為らない。人物描写が巧みな香山滋先生が描くチカは、映画に増して濃厚。飯島の為に御洒落して胸を躍らせる描写が可愛い。最期、映画では身を投じて(事故ですが)雪男と運命を共に虚しい死を遂げるが、ノベライズでは死なない。代わりに此の時点まで生きてる雪男の子供が親子で噴火口へ落下する。噴火口で飯島の為に雪男に立ち向かう場面は同様だが、ニュアンスが異なるのだ。(映画は、刃物を持って正々堂々戦闘するが、ノベライズは裸身を晒して雪男に隙を作る作戦だった。) 「野アザミの花をおもわせる強さの野生美と、どこか日本人ばなれのしたエキゾティックな容貌」と描かれたチカは、如何に根岸明美さんが適正な女優であったか再確認させられる。印象深いのは「三」で飯島が脳裏に浮かべる事件に警察や報道者の無関心で利己主義な態度を描いた文章。短いながらも、怪事件に付き纏う世間の好奇な目と無理解によって苦しむ被害者を十分に表現されていた。この一節によって登場人物の心情を一層に深めた様に思う。

 

何と云っても、映画撮影に使用された獣人雪男の造形と存在感に脱帽。ファーストコンタクトで、寝静まる道子のテントを襲ったシルエットから始まる雪男の全貌を明かさない丁寧な恐怖描写も見事である。正体は孰れも推測に留まり明確に公表されていないが、理性的な獣人雪男には人間のギラギラした目と自在な表情が自然と馴染む。上述の"「雪男」に関するメモ"ではダーウィンの進化学説を挙げて「人類は遠い地質時代に、人・猿共同の祖先から分岐して進化したものである」、と雪男と人間が隣接した関係である事を啓示した。現に雪男の造形は、唯一無二で類を見ず絶滅を遂げた種として神秘性に満ちているが、微かに"嘗て存在していたのでは"と、ロマンをも感じさせる。鬱屈とした世界観を彩る佐藤勝氏の音楽も又重圧だ。日本アルプスの広大な自然を思わせるメインタイトルは、間も無く絶滅を迎える種の悲哀歌に聞こえてならない。

 

 

 

ゴジラ (ちくま文庫)

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