これでもくらえ

なにもかもウルトラQのせいだ

映画『あこがれ』(1966年 東宝)

 

恩地日出夫監督、映画『あこがれ』の感想です。

ラピュタ阿佐ヶ谷にて鑑賞。

 

f:id:zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz:20180312130240j:image

 

― 日雇いの現場に務め、酒乱癖のある父親・恒吉(小沢昭一氏)に連れられて養護施設「あかつき子供園」に預けられた信子(内藤洋子氏)は、同じ施設に預けられた一郎(田村亮氏)と出会う。

やがて平塚の老舗でセトモノ屋の吉岡家に貰われた一郎は、若旦那として立派に成長し、両親は一郎の嫁探しに没頭していた。

一方で信子は、父親の恒吉が信子の勤め先に現われては信子の給料を強請みに来る為に職を転々と変わり、不安定な生活を送っていた。

同じ養護施設出身の二人は、大きく異なる境遇の最中に平塚で再会するのだが………

 

涙。ただただ、涙。

 冒頭から泣かされるなんて思ってませんし、まだハンカチの準備してませんし、しょっぱなから鼻水噴き出してどうしようかと思った。

クレジットタイトルと同時に映し出された荒れ狂う信子(幼少期)のアレコレが強烈過ぎたよ…

個人的大惨事は置いといて、信子と一郎の恋愛ドラマ以上に、二人で幼き頃を懐かしみ訪れた養護施設で出会う親代りとも云える水原先生(新珠三千代氏)によって、垣間見える境遇の葛藤にフォーカスを当てている。

異なる境遇が明白に理解出来る描写の中で、"実親が傍にいる信子"と"実親に会えない一郎"の相違する価値観と幸福感の混迷が胸を抉る様に訴えかけてきた。

信子と一郎の成長と共に、水原先生が翻意する展開が絶妙で印象深い。

「12年間育ててくれた両親の気持ちも考えずに(同じ施設育ちの)信子ちゃんと結婚したいと云うのは我儘」と反対する水原先生に対して「人を好きになる事は我儘なのか」と一郎が問う場面で水野先生が言葉を詰まらせているが、信子との結婚を望む一郎、一郎の気も知らず懸命に嫁探しをする両親、揺らぐ気持ちを抑え込み頑なに一郎を拒む信子、そして自分の境遇を一郎と信子に重ねて「不幸になる」と断固として二人を引き離そうとする水原先生……一体誰が我儘なのかと云ったら、全員が我儘になる。

そんな事を言ったら、一郎の生みの親であるすえ(乙羽信子氏)が一郎を棄てて今迄音沙汰無しだった癖にブラジル移民を告げに突如現れ、一郎の安否を気遣う事ですら我儘だ。

問題は、御互い我儘の自由を尊重して労わる心の重要性ではないだろうか。

 

最後まで信子は一郎への本心を露出しなかったが、きっと養護施設で出会った頃から特別な感情を抱いていて、ずっと好きな気持ちを抑え込んで苦痛だったのだと思う。

信子の苦痛は言葉では無く、涙によって語られていた。言葉に成らない感情を涙の魅せ方で訴える監督の至妙なセンスに恐れ入った。

そしてまた一郎も抑え切れぬ感情と境遇に苦悩していたのである。

でも、食券渡すタイミングで告白すんのはオカシイ

そりゃ涙流して「帰って」って言われちゃうのも無理ないわ...(笑)

 

観賞の動機は、西條康彦様の御出演です。

一郎と信子が夜道で歩いてる最中にダル絡みしてくるタチが悪いグループのタチが悪い青年役だったのですが、絡みつく瞬間から内藤洋子氏に張り倒され捨て台詞を吐く迄、実に軽快なリズム。

3人のチンピラグループの中、安定のセンターで「見せつけてくれるじゃん」的な冷やかしの台詞が数言と、凝ったライティングで映し出されたクローズアップ(!)の御尊顔(しかも舌ペロです。繰り返します、舌ペロです。)が拝めて、美しいワインカラーの御召し物が大變御似合いなチンピラ様でした。

御洋服は自前かな、カーキと云うかベージュと云うか絶妙な御色の御帽子は『ウルトラQ』の「悪魔っ子」とかで御召しになっているのと同じだと思う。(これは確か自前)