これでもくらえ

なにもかもウルトラQのせいだ

漫画「赤んぼ少女」楳図かずお

 

1967年「少女フレンド」誌上で連載された、楳図かずお先生の「赤んぼ少女」。

2008年に発行されたビックコミックスペシャル版を購入・拝読しました。

 

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― 十二年前産院の手違いで孤児として扱われた美しい容姿を持つ葉子が、父親の甲斐で南条家に帰着した。

母親・夕子の様子に違和感を感じつつも、平穏な日々を送る矢先、五年前に施設に預けたと偽っていた醜い容姿を持つ赤ん坊のタマミが姿を現す。

タマミは夕子の手によって仏壇の中に隠して、屋根裏で大切に育てられていたのだ。

赤ん坊のままで成長をしなかったと云うタマミは、"葉子の実姉"であると父親が告白された葉子は、タマミの世話係をする事になるのだが……

 

ジャンル分けをするのであれば、ホラー漫画だろうが掲載が少女向けの誌上なので、少女漫画である事も主張したい一作。

タマミに感情移入し過ぎて辛い、というか、まるで鏡を見ているかのようで辛い。

美しさに嫉妬する憎悪、美しさの破壊を望む非道な衝動、美しさに憧れる程に己の醜さが露わになり、自暴自棄に陥ってしまう.......自分が醜悪な余り美を羨望し妬む感情全てに同調してしまった。

そして、その醜悪な感情こそが自分の身を刻々と穢している事を、作中で高也が「その みにくい手 みにくい顔は きみの心の あらわれだ!」と指摘している。全く持ってその通りだ。

外見は内面の一番外側と云う言葉をわたしは座右の銘にしているのだが、タマミの存在は正にその言葉通り、内面から来る醜さが外見に反映した存在として挙げられる。

心為しか全体を通して見ると、タマミの行動がエスカレートしてゆくに連れてタマミの顔が悍ましく変化し、嫌悪感を煽る姿に変貌している様に思えた。

 

印象深いのは、タマミが高也へ抱く恋心。

醜悪な存在が抱く僅かながら温かい感情。御化粧をしても、葉子のやうに美しくなれず、涙を流すタマミには、非常に感銘を受けた。

高也が「タマミちゃんぼくお友だちになりたいな」と言ってタマミを抱き、「とてもかわいいですね」と褒めているにも関わらず、その良心でさえ疑る心理は、やはり自分に自信が無い故の歪んだ捉え方だろう。

タマミが如何に他者に対して不振感を抱いているのか、推定出来るシーンだ。

まァ、これは後々タマミの察する通り高也の御世辞だったのですが(爆)「高也がくると思っていっしょけんめいおけしょうしてたのに………」と自身に絶望しつつも、"好きな人に少しでも良く思われたい"と云う乙女心が憎めない。

 

赤ちゃんと云う純粋で愛らしく真っ白な存在を、醜悪に支配された化け物として描く楳図先生のセンスには絶句の一言。

タマミが何故、赤ん坊のまま成長出来ないのか……自分の中ではハッキリ答えが見つからなかった。

ただ、赤ん坊って無条件に可愛がられる存在と云うか、無条件に愛されると云うか…キチガイ夕子も度々タマミが赤ちゃんである事を強く主張している表現がなんだか引っ掛かる。

ずっと赤ん坊でいるのは、誰しもが抱く"愛されたい"と云う願望の表れなのかも。